富山藩が成立した時それまで加賀領の町であったが、藩の中心の町となるということで富山町人は新藩主に期待した、
特に二代藩主前田正甫は産業の振興に熱心ゆえ、富山町人は前田正甫を支持していく、
松井屋源右衛門もその一人で前田正甫の製薬の協力者であった。
松井屋源右衛門の先祖は、越中の薬種を税として取りたてる役人として伊勢(三重県)出身と伝えられ、天正10年(1582)頃、富山町で薬種屋を始めたという。
富山藩が成立する以前の寛永8年(1631)に、松井屋源右衛門は町年寄り各で富山町の税収納にあたる有力町人であった。
松井屋源右衛門は万代常閑家と遠い親戚でもあり、万代常閑から反魂丹の荒薬種を伝授・技術指導を受ける事になる、
反魂丹生産の中心となる薬種屋として、藩の統制を実行する製薬指導役人として、富山城下の有力町人 松井屋源右衛門は最適の存在だったのである。
江戸城で各大名から反魂丹の販売を頼まれて売薬行商を始めたが、備前(現 岡山)の万代常閑製の反魂丹を仕入れて売るのでは利益が少ない。
どうしても、富山藩の中で反魂丹を生産して藩の産業にしたいという考えが前田正甫にはあったと思われる、
松井屋源右衛門は、前田正甫の構想の実現に努めた1人である。