富山の薬の歴史


八重崎屋源六(やえさきやげんろく)
越中反魂丹の販売、そして富山売薬を全国規模への産業としての
基礎を築きあげた人物

元禄3年(1690)に売薬行商に始まり60年の時が流れ・・越中売薬といえば薬売り・反魂丹というほどに売薬業は発展、2000人もの売薬行商人が全国へと販売に向かうほどに成長した、
元禄時代は現代のように道路・通信網など全くない、そんな中八重崎屋源六の才覚があったからこそ、今の富山売薬行商があるのかもしれない。

八重崎屋源六が初めて売薬行商に出たのは、元禄3年(1690)と言われているが、富山売薬はその時から順調に発展したわけではない。 大阪・京都・江戸などの市(いち)で芸をして反魂丹を売り広めた時代、各地の祭りで反魂丹を売りながら村にお得意を作る地道な訪問販売の努力がなされた時代を経て、宝暦年間(1751〜63)には、富山売薬の名が全国に知られるようになった。 次の明和年間(1764〜72)には、21組の仲間ができ、富山反魂丹売薬の、形ができあがったのである。



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